行動すること

体を使って考えよう

 

おはようございます。『落ちこぼれが創る明るい未来の会』代表のwatanabeです。

人は、一度落ちこぼれないと気付けません。ですので、どんどん落ちこぼれて気付きを得ましょう!

最近、はまっていること

最近は、休日になるたびに高尾山に行って軽い登山をしています。

高尾山は、自宅から電車で1時間余りで行くことができ、登山口から山頂まで、こちらもだいたい1時間くらいで登ることができます。ですので、往復4時間目安でのちょっときつめのハイキング感覚で登山をしています。

高尾山登山を始めたきっかけは、このところ増え続けてしまったウエスト周りの絞り込みが目的です。始めたの先々月の5月からで、すでに7回ほど高尾山山頂に行っています。

高尾山の高さは599mなのであまり高いとはいえません。ちなみにスカイツリーの高さが634mです。

とはいえ、しっかり歩いて山を登るとなると、体全体からは汗が吹き出し、息も上がり、登った翌日は必ず筋肉痛になるので「我がウエスト問題」には効果はありそうです。

ただ、目に見えての効果はまだ見受けられないようなのが残念でもあります。それでも体重は少し減ったような気もしますし(家に体重計がないため計測不能)、先日、久しぶりに会った友人からは、顔が引き締まったねと言われたりもしています。

そういった意味では、効果は少しづつ出ているのかもしれません。

行動してみないとわからないことがある

さて、ウエストの引き締めのために始めた週末の高尾山登山ですけれど、意外な事に、お休みの日の朝になると、どういうわけか、高尾山に行きたくなる気持ちが生まれてきます。前の晩、明日はいかなくてもいいかなと思ったりするものの、朝になると高尾山に登りたくなるのです。

最初の1,2回は、それこそ「ウエスト問題」の解消のために始めたことでしたが、今では、この「ウエスト問題」の解消以上に登りたいという気持ちうの方が強くなっていて、それゆえに今もなお高尾山に登っています。

これを継続していくことで、数か月後には、もしかすると「ウエスト問題」も解決されるかもしれませんけれど、それでもなお、この高尾山登山を続けている可能性は大きいといえます。

今回、この高尾山登山で得た経験からいうと、始めた理由とは全く関係のないところから生まれた「理解不能な喜び」を得ることができたことに大きな意味があるように思います。

経験してみないとわからないことが実はたくさんあるものであり、頭で考えて結論を出すだけでなく、実際に体を使って感じて生まれた欲求を大切にしていくとも、生きていく上ではとても大切なことなのかもしれません。

体と頭は繋がっています。脳は脊椎を通じて体全体に繋がっています。そう考えると、体全体が脳であるともいえるのです。

身体を使って考えることで、見えてくることたくさんあると思います。

本日のまとめ

体を使って考えよう
① 当初の目的以外に生まれた欲求を大切にしよう。
② 脳は体全体に繋がっているので、体そのものが脳ともいえる。
③ 体を使って考えていくことも大事。

 

純粋に生きる方法

 

おはようございます。『落ちこぼれが創る明るい未来の会』代表のwatanabeです。

このところ内的動機で生きることを推奨している記事を書いています。内的動機で生きることの良さはピュアな欲求に従って生きることであり、純粋な欲求に従って生きることで、無駄もなく、遠回りすることもなく生きることができるということです。

もちろん、純粋な欲求だけで生きてはいけない部分も多いでしょうし、それでは生活が成り立たないといったこともあるでしょう。

しかし、生きていくなら義務や賞罰、強制のある外的動機を軸にして生きていくより、自分が望むことをして生きる内的動機を軸にした方がより幸せなはずです。ですので、現状はともあれ、その軸を外から中へと変えていく姿勢がとても重要なのではないでしょうか。

では、どのようにして意識を外的動機から内的動機へと変換させていくのか、その方法を本日はお伝えしたいと思います。

意識を外から内へ変えていく方法

外的動機ではなく、内的動機で生きていく方法は以下の2つになります。

① 生きる目的を明確にする

② 明確化された目的を実生活の中で少しづつ実践していく

あたなの生きる目的は何でしょう。それをどんどん掘り下げていって下さい。それが①の生きる目的を明確にするということです。

もし、あなたが「豊かな生活を送りたい」と思ったなら、その豊かさとは何なのかを掘り下げていきましょう。豊かさには色々あります。金銭的な豊かさなのか、あるいは、人間関係上での豊かさなのか、あるいは時間的な豊かさなのか、豊かさの中の何を実現したいかを明確にしましょう。

次に、明確になった目的をもう一段、深く掘り下げていきます。例えば、上の例の豊かさであるならば、豊かになったらどんなことをしたいか、どういう風に豊かさを満喫したいか考えてみましょう。

金銭的な豊かさを実現したならどんなことをするのか、人間関係が豊かになったらどんなことをするのか、時間的な豊かさを得ることができたならどんなことをするのか、そういったことを考えてみましょう。

そして、次にそれが達成されたときの気持ちを味わってみましょう。目的が達成されたときの気持ちを言語化してみましょう。

そうして言語化された気持ちで生きることが、①の生きる目的です。もしそれが「幸せ」ということであれば、あなたの内的動機は「幸せ」であるといえます。

従って、この「幸せ」を軸にして、普段の日常生活を生きるのです。これが②の実生活の中での実践です。

もし、今、あなたの生活の中に豊かさを感じられずにいたとしても「幸せ」は必ずあるはずです。それがどんなに些細な事でも、そこに「幸せ」と感じられる瞬間はあるはずです。そういった「幸せ」を広げていくことに焦点を合わせていきましょう。焦点を「ない」から「ある」に変えてそれを広げていくことに勤めていくのです。

豊かさを感じることができない人は、ずっと豊かさを感じることができずに一生を終えてしまうでしょう。しかし、それがどんなに小さいものであっても豊かさを感じることができたなら、それを広げていくことが可能になるのです。それを広げていくことが「内的動機」で生きるということなのです。

忙しいと感じる日常の生活の中であったとしても、少しだけ時間を作って豊かさを味わえる瞬間を作ってみましょう。人間関係をよりよいものにしたいのであれば、今の人間関係をよりよくすることからはじめましょう。それも特段難しいことをする必要もありません。ほんの少しだけ笑顔でいる時間を作ってみましょう。そういった「幸せ」に繋がるような小さな変化を意識して起こしていくといいでしょう。そうしていくと、少しずつですけれど「幸せ」は実現されていくのです。

ただ、ひとつ気を付けなければならないことは、目的を混同しないということです。最大の目的は「幸せ」であって、「豊かになる」ということではないということです。焦点を合わせることは、「幸せ」であり「豊かになる」ことではないのです。

「豊かになる」ことが目的となり、それが強くなりすぎて目的が「外的動機」になってしまわないように気を付けなければなりません。

「幸せ」になるためにはリラックスすることです。なぜなら、リラックスした状態こそが「幸せ」なのですから。よって、目的達成のために力んではいけません。力んだ時点でそれは「外的動機」です。

ですので、リラックスしてできること、楽しんでできることからはじめて行きましょう。「リラックスしてする行動」や「楽しんでできる行動」は、「内的動機」でする行動なのですから。

本日のまとめ

純粋に生きる方法
① 内的欲求で生きることは、人生の近道。
② 動機を外から内へと変えていきましょう。
③ その方法として、生きる目的の明確化とその実践が大事。
④ 目的が達成されたときの気持ちで生きる。
⑤ 焦点を「ない」から「ある」に変えてそれを広げていくことに勤める。
⑥ 目的達成のために力んですると「外的動機」になってしまう。
⑦ リラックスしてできる行動こそが「内的動機」に基づいてできる行動である。
⑧ 幸せとはリラックスできている状態のこと

 

幸せになる方法

 

おはようございます。『落ちこぼれが創る明るい未来の会』代表のwatanabeです。このところ、毎回のように内的動機について書いています。

前回のおさらいをすると、内的動機とは動機の中に純粋性が存在しており、この内的動機で行動ができるとより幸せに近づけるとといったことを書きました。

そこで、今回はこの内的動機の扱い方次第で、人はもっと幸福になれるということを書いていきたいと思います。

幸せになる方法

行動することには必ず目標や目的が存在しているといえます。目標や目的が意識されているかいないかに関わらず、行動するということには、何かしらの目標や目的はあるのです。

食事をとるといったことや、顔を洗うであったり、トイレに行くといった日常生活のごく当たり前の事ですら、そこには目的が存在しているといっていいでしょう。空腹を満たすことも、洗顔することも、用を足すことも、そこには理由があるからそれをするのです。つまり、すべての行為には理由が存在するのです。

では…、生きることそのものの目標や目的とは何なのでしょう。どういった目標や目的があって人は生きるのでしょうか?

それは、「幸せになるため」ということなのではないでしょうか。この「幸せになる」という目標が最上位にあるからこそ、人は何かしらの行動を取るのではないでしょうか。

例えば、空腹を満たすことも、トイレに行って用を足すことも「幸せになるため」の行動です。空腹を満たさずにいたり、用を足したいのに足すことができないのであったなら、それは不幸であるといえます。

つまり、人はどんな事でも幸福になるためにしているといっていいのです。人はあえて不幸になることをしようとはしないのですから。

とはいえ、「幸せになる」という目標をどのような動機で行動に繋げていくかというと、そこに内的動機(好奇心や関心)に基づく行動と、外的動機(義務・賞罰・強制)に基づく行動に分けられてしまいます。

そして、もし、より良い幸せを追い求めようとするのなら、その目標や目的が内的動機に基づくものなのか、外的動機に基づくものなのかをきちんと見極める必要があるでしょう。そしてまた、この内的・外的の動機をきちんと見極めた上で、行動する動機そのものすべて内的動機に変えてしまうことができたなら人は幸せになれるといえるのです。

今、この瞬間を楽しむことが幸せ

内的動機は幸せに繋がる動機です。従って、行動のすべてを内的動機にすると人は幸せになれます

しかし、生きている中で外的動機で行動しなければならないこともたくさんあります。先に述べたように、この外的動機の正体は、義務・賞罰・強制ですから、必ずしも外的動機でする行動が楽しいかというとそうでない場合も多いでしょう。

しかし、多かれ少なかれ外的動機でしなければならないこともしていかなければなりません。ただ、この外的動機を外的動機のままにして行動していてはなかなか幸せにはなれないでしょう。そこで外的動機でしている行動を、何かしらの形で内的動機に変化させることができたなら、人はどんな時でも幸福になれるのです。

では、外的動機をどのようにして内的動機に変えていけばいいのでしょうか。

内的動機は「好奇心や関心」に基づく行動ですから、それをしている最中は基本的にそれをしている瞬間を楽しんでいるということになります。そして、それをしていることが楽しいということは、「今、この瞬間を味わっている」ということになります。

一方、外的動機は「義務・賞罰・強制」に基づく行動であり、「行為そのものを楽しめていない」ということになります。「行為そのものを楽しめていない」ということがどういうことかというと、それは、「今、この瞬間を味わえていない」ということです。

であるならば、外的動機でする行動が、例えそれにどんな理由があったとしても「今、この瞬間を味わってする」ことができたなら、それは内的動機でする行動になるといえるのです。

つまり、「今この瞬間を味わう」あるいは「今、この瞬間を楽しむ」ことができたとき、それが外的動機で始めたことだとしても、内的動機に変化させることが可能であるといえます。

そう考えていくと、実は動機そのものはあまり重要ではなく、していることをしっかりと味わうことができたとき人は幸せになれるといえるのです。

つづきます。

幸せになる方法

タイトル
① すべての行為には理由が存在する。
② 行動のすべての動機は幸せになるため。
③ どんなことでも内的動機で行動できれば幸せになれる。
④ 動機を「今、この瞬間を楽しむ」にすれば「外的動機」は「内的動機」に変えられる。
⑤ 大切なのは動機ではなく、行動そのものを楽しむこと、味わうこと。
⑥ 行動そのものを楽しむことができたとき、人は幸せになれる

 

初心忘れべからず

 

おはようございます。更新の期間が少し空いてしまいました。

前回は内的動機をもとに純粋な気持ちを大切にして生きていきましょうという内容を書きましたけれど、本日はその続きとなります。

今日も簡単なおさらいをすると、「内的動機」とは「〇〇したいから、〇〇をする」ということです。例えるなら「山に登りたいから山に登る」ということであり、内的動機がもたらす行動には純粋性があるといえます。

その一方には「外的動機」というものがあって、これは「〇〇をしなければならないから、〇〇をする」ということです。この外的動機は、義務や賞罰、強制などが動機となって行動することを言います。例えるなら、「お金設けをしなければならないから山に登る」といった感じでしょうか。

「お金儲けをするために山に登る」ってなんか変ですよね。

行動するにあたって、目的は様々あっていいし動機はどんな内容であったとしても基本的には構いません。しかし、内的動機で行動するのと外的動機で行動するのとでは、持続性や行動の質といった部分でいえば、内的動機の方がいいことは明白です。

したいことに対して、挫折をしたとしても困難にぶつかったとしても純粋な動機、つまり内的動機で行動するならそれを克服しようとする力が生まれるといっていいでしょう。持続性や行動の質は、動機が純粋であればあるほど保たれるものです。

しかし、義務や賞罰、強制が動機であったなら、困難を克服しようとする力が弱くなるのも必然です。従って、行動するための動機は内的動機の方がいいといえるでしょう。

とはいえ、内的動機で始めたことも、気が付くと外的動機で行動をしてしまうということが起こりがちなのです。そこで、内的動機が外的動機に変化しないように心掛けましょう、ということが本日のテーマとなります。

初心忘れべからず

よくスポーツ選手が大舞台の中で、「今、この瞬間を楽しもう」と自分自身に暗示を掛けるのは、初心に戻ろうとする行為です。

例えば、ある陸上の短距離走の選手がいたとします。その短距離走の選手が世界大会の決勝の舞台で、今まさにこれからレースを迎えようとしているとします。

彼は、このレースで1位になれば、地位も名声も一挙に手に入れられる、といったことを考えています。また、このレースに勝つことで、これまでお世話になった人に恩返しをしたいということ、なども考えています。そういった様々な思考がよぎるにつれて、彼の緊張の度合いは深く増していきます。

彼は、幼い頃から健脚で名を馳せ、走ることの大好きな少年でした。走ることがただただ好きで、野山を掛けまわっているときに幸福な気持ちになれたのです。

走ることが好きだった少年は、陸上の世界大会の決勝に出場できるくらいの実力を身につけることができました。しかし、これから始まるレースを前に、彼の緊張はこれまでの人生でかつてなかったほどまで高まっているのです。

そんな時、ふと彼のコーチの言葉を思い出します。緊張した時には、初心に戻ることが大切なんだという言葉を。

スタートラインに立つようにという合図がかかる最中、彼は小さな声で、自分自身にこうつぶやくのです。「今、この瞬間を楽しもう、あの頃のように」と

その瞬間、走ることの目的が外的動機から、内的動機に変化していきます。すると不思議な事に、無邪気に走っていた当時の気持ちがよみがえり心も体も軽くなっていくのです。

この陸上選手の例は、私が想像で作って書いたことですけれど、こういったことは実はよくあって、松坂大輔擁する横浜高校が明徳義塾に対して残りに2イニングで6点差をひっくり返すという甲子園での大逆転劇の裏には、監督の渡辺さんの「残りの2イニングでひっくり返すのは難しい。もう後はお前たちの好きな様に、思いっきり甲子園を楽しんでみろ!」という言葉があったという逸話も存在しています。

これは、甲子園という大舞台に立つことで外的動機が強くなってしまった状況の中、内的動機に戻ることで野球をするということの純粋な気持ちを思い出し心身の負荷を落としていくことに成功した例といえるでしょう。

内的動機で始めたことが、気が付けば外的動機で行動しているということは、実は、我々の生活の中にもよくあることでもあるのです。好きで始めた仕事なのにも関わらず、目的が収入をあげていくことに変わってしまっている、というようなことはたくさんあるのです。

外的動機で行動すると、必ず何かしらの問題が生じてしまいます。それこそ心身に余計な負荷をかけてしまいかねません。従って、心身に負荷がかかっていると感じたときこそ、初心に戻ることが大切なのです。

内的動機とともに生きる。

よく女性の方が理想の男性像を語る時に「少年のような人」といいますけれど、その「少年のような人」とはどういう人かといえば「内的動機で生きている人」ということがいえるでしょう。内的動機で生きている人は、純粋であるがゆえにキラキラしているのです。

人はそういったキラキラした純粋性に惹かれていきます。そして、不思議とキラキラした人の周りには、キラキラした人が集まるものです。そういったキラキラの循環で生きることができるようになると、人生もまたキラキラしていくことでしょう。

そして、キラキラして生きるために常に気を付けていかなければならないことは、行動するにあたっての目的が内的動機であるかどうかを確かめていく必要があるといっていいでしょう。常に初心を忘れないようにし、内的動機で生きるのです。

もし我々の生きることの意味が「人生を楽しむこと」であり、それがこの世に生を受けたことの内的動機であるならば、どんな状況下であってもそれを楽しむことが大切であるといえます。

そして、人生を楽しむという内的動機で生きられるようになったとき、その人はきっと必ずキラキラとした人生を歩むことができるようになるのです。

本日のまとめ

初心忘れべからず
① 内的動機で行動すれば、持続性も質も上がっていく。
② 初心に戻ることで、内的動機を思い出し原点に戻る。
③ 内的動機に立ち返ることで、心身の負荷を落とし、集中力を高めていく。
④ 心身に負荷がかかっている時こそ、初心に戻ることが大切。
⑤ 「少年のような人」とは、「内的動機で生きている人」のこと。
⑥ 内的動機で生きると人生が好転していく。
⑦ 常に初心を思い出し、内的動機で行動していく。
⑧ どんな状況下でも楽しむことができたとき、人生が好転していく。

 

純粋な動機で生きる。

 

おはようございます。『落ちこぼれが創る明るい未来の会』代表のwatanabeです。前回は、行動における内的動機と外的動機について述べました。

内的動機とは、簡単に言うと直接的な欲求であるのに対し、外的動機とは複次的な欲求であるともいえます。間接的な欲求よりも直接的な欲求の方が、その意味合いとして純粋性があるため、行動する力でいえば内的動機の方が強いといえます。

従って、直接動機に従って生きることができたなら、人はより明確な目的を持って生きることができるのかもしれません。

とはいえ、この現代社会においては、直接欲求よりも、間接的な欲求の方がメインになっているといっても過言ではないのでしょうか。間接的な欲求がメインになってしまうと、どうしても目的が曖昧になってしまいがちなのです。

現代社会は内的動機と外的動機で生きる2種類の人がいる

内的動機と外的動機をもう一度おさらいすると、内的動機は、「〇〇をしたいから〇〇をする」ということであり、外的動機とは「〇〇をするために〇〇をする」ということになります。

例えば、「勉強をしたいから勉強をする」というのが内的動機であり、「いい成績を取りたいから勉強をする」ということが外的動機となるといっていいでしょう。

もし本当に勉強が好きであるならば、「勉強がしたいから勉強をする」という行為が生まれます。しかし、「特に勉強がしたいわけでもないけれど、いい成績を取らなければならないので勉強をする」ということは外的動機となるわけです。

「この仕事をしたいから、この仕事ををしている」という人は内的動機で生きていて、「生活するために、この仕事をしている」という人は外的動機で生きているといえます。

内的動機と外的動機の定義をもう一度あらためて見てみると、内的動機が「好奇心や関心によってもたらされる動機づけであり、賞罰に依存しない行動である」のに対し、外的動機は「義務、賞罰、強制などによってもたらされる動機づけである」とされています。

従って、勉強が好きで勉強をするといったことや、この仕事が好きだからこの仕事をするといったことは、好奇心や関心によってもたらせる動機なので内的動機であるということができ、動機そのものが純粋であるといえます。

その一方で、勉強や仕事を外的動機で行っているとするならば、その動機にはある種の濁りが生じているともいえるのでしょう。

趣味をするように生きられるのがベスト

では、「趣味」を内的動機、外的動機で見てみるとどうなるでしょうか?

上の定義を用いるならば、趣味には基本的に「義務、賞罰、強制」は存在しないはずなので、内的動機に基づく行動であり、趣味でする行動は純粋な欲求によって成り立っているといえるでしょう。

そう考えると、「勉強をしたくて勉強をする」といった人や、「この仕事をしたいから、この仕事で働く」という人は、勉強や仕事を趣味と同じような感覚で行っているといっても問題はないでしょう。

ですので、幸せということで考えるならば、内的動機で生きるのと外的動機で生きるのとでは、当然、内的動機を主体として生きる方が、圧倒的に幸福度が高いということが一目瞭然なのです。

以前、このブログの中で「無償の遊戯性で生きる」といった内容の記事を書きましたが、より幸せに生きていくのであれば、この内的動機(無償の遊戯性)に従って生きることの方が、純粋な幸福度は高くなるといえるのです。

とはいえ、すべてを内的動機で生きるなんてできないと思うこともあるかもしれません。しかし、そんなことはないのです。「内的動機」だけで生きている人はたくさん存在するのです。

「内的動機」だけで生きられるようになると「自由」になれる。

プロの登山家は、内的動機で生きているはずです。彼らは純粋に山が好きだから山に登るのであり、内的動機で生きているといっていいでしょう。登山は、いろいろな場面で過酷な状況に遭遇することが多いので、なかなか外的動機でそれを仕事にするということは難しくもあります。

しかし、登山家は、山に対する内的動機が強いからこそ、登山家として生計を立てられているのです。仕事柄、色々な危険を伴う反面、彼らの幸福度はより高いといえます。きっと彼らの心の中では、目の前に聳える山に対してのワクワク感や好奇心で満たされていることでしょう。ノルマもなく義務もない、ただ山と戯れているだけで、彼らは生きているのです。「自由」とはつまりそういうことです。

このことは、登山家だけに当てはまるわけではありません。それは料理人であったとしても、例えば経理の担当者であっても、内的動機を軸とした仕事に対する純粋性が存在していればいいのです。純粋性に基づく行為で生きることができたなら、人は自由を謳歌できるといってもいいのです。

もし、このブログをご覧になっている方で、もっと人生を謳歌したいと考える方がいらっしゃるのであれば、あなたの中の純粋性を探してみるといいかもしれません。内的動機で行えることをもっともっとしていくといいでしょう。

ただ大事なことは、内的動機でしている行為の中に、外的動機的な要素を加えてしまわないことが肝要であるといえるでしょう。

つづきます。

本日のまとめ

純粋な動機で生きる
① 内的動機とは「直接的な欲求」であるのに対し、外的動機とは「複次的な欲求」である。
② 好きな仕事をするのは内的動機。生活のために働くのは外的動機。
③ 内的動機とは「好奇心や関心によってもたらされる動機づけ」のこと。
④ 外的動機は「義務、賞罰、強制などによってもたらされる動機づけ」のこと。
⑤ 内的動機で生きる方が幸福度が高くなる。
⑥ 内的動機に基づく行為をしていくことが、あなたを幸福にする。
⑦ 内的動機の中に外的動機を加えてしまわないように注意が必要。

 

行動するという練習

 

おはようございます。『落ちこぼれが創る明るい未来の会』代表のwatanabeです。

スッと行動できるようになるためにはどうすればよいか、ということを最近のテーマとして書いていますが、本日もこのことについて書いていきたいと思います。

練習するのはスッと体が反応できるようになるため

学生の頃に部活動をされていたという方はたくさんいると思われますが、部活動の練習は、それこそスッと体が動くようになるために訓練をしているといってもいいでしょう。

同じことを何度も何度も繰り返ししていると、試合中に練習していた時と同じような状況になった場合、スッと行動できるものです。練習する意味は、簡単にいうとそういうことです。

はじめてする練習は、まずは頭で考えて、その考え通りに行えるよう体を動かしていきますけれど、何度も何度も練習していくうちに、考えることなくスッと体が動くようになっていくものです。

「体をどう動かせばいいか」などと考えながら試合をしていては、それこそ試合にはならないので、試合ができるような状況、つまり、どんな状況でもスッと体を動かせるようにしておく必要があるので、部活では練習が欠かせないといえます。

もちろん練習は体が動かせるようになるだけではなく、すぐに状況判断ができるようになるということも含まれています。体を動かしながらも状況判断をしていく、そういったことをしていくためには、練習も様々なバリエーションが必要になってくるでしょう。こういった練習を重ねていくことで、技術を向上させていくことができるようになります。

従って、色々なバージョンの練習を何度も繰り返していくことで、未知の状況を既知として扱えるようになり、試合中でも迷わずに、スッと行動できるようにしているといえるのです。

内的動機付けを探していく

行動するにあたっては、内的動機付けと外的動機付けのふたつがあると考えられます。内的動機付けとは、「行動することそのものが目的の行動」であり、外的動機付けとは「目的のために行動するということ」のことを表します。

例えば、「サッカーがしたいからサッカーをする」というのが内的動機付けであり、「女子にモテたいからサッカーをする」というのが外的動機付けということがいえます。

あるいは、「自分のお腹を見てマジでヤバいと思ってダイエットする」のは内的動機付けといえるし、「夏に向けて今のうちからダイエットしておこう」というのは、外的動機付けといえるでしょう。

普段の生活の中では内的動機付けと外的動機付けの両方を使って生きているといっても過言ではありません。また、どちらが良くて、どちらが悪いとは一概にいうことはできませんけれど、あまり深く考えることなくスッと行動できるという場合はどちらかというと内的動機付けの方であるといえるでしょう。

つまり純粋な欲求であればあるほど、人は行動力が増すといってもいいのです。そういった意味で言うならば、すべての行動を内的動機付けで行動できるようになったなら、行動力を増すことができるともいえるのです。

また純粋性において「理由のない衝動」で生きることができるようになったとき、その行動は、ある種の美しさをも兼ね備えているといえます。計算で生きるのではなく、ピュアな欲求で行動できるということは美しさや潔さがあるといっていいでしょう。

従って、日常生活の中での自分がしている行動が内的動機付けなのか外的動機付けなのか、それを観察していくと、「私」そのものが見えてくるようになります。

今している行動が、純粋性のある内的動機付けなのか、あるいは対外的な評価を基準とした外的動機付けなのか、そういったところを見極めていくと、「私」そのものの存在理由がはっきりと見えてくるのです。

目的が明確になれば、スッと行動できるようになる

生活の中でのすべての行動が内的動機付けでおこなっているわけではありません。人によっては外的動機付けの方が多い場合もあるでしょう。それはそれで全く問題はありませんけれど、外的動機付けの目的は、どうしても表層的なものになってしまいがちです。

「お腹が空いたから食べる」といったことは、欲求に従って生きていることですから内的動機付けと考えてもよいのですけれど、例えば「食べるために働く」というようなことは、外的動機付けとなってしまうわけです。こういった外的動機付けにはどうしても純粋性が欠けてしまう分、挫折や諦めといった要素を多分に含んでしまいがちなのです。

強さという意味では、「生活のために働く」という外的動機付けよりも、「働きたいから働く」あるいは「それをしたいから働く」といった内的動機付けの方が強いといえます。当然、動機が強い方が、目的に向かって行動できるだろうし、それを長続きさせることも可能となるでしょう。

そう考えていくと、外的動機付けを上手に内的動機付けに変化させていくことができたなら、例え入口が外的動機付けであったとしてもそれはそれで全く問題ないともいえるでしょう。

上の例でいうならば、なぜ「生活のために働くのか」ということをもう少し深く考えてみるといいかもしれませんし、そもそも「働く」とはどういうことなのかということを考えてみるのもいいかもしれません。あるいは、「働くことを通じて何を達成したいのか」とか、「現在働いている場所で何を学びたいのか」ということを考えてみるのもいいでしょう。そうやって生活のために働く理由を、外的動機付けを内的動機付けへと転化させていくことができていったとき、行動力も上がっていくのです。

目的が不明確であったり、それをする理由が不明瞭であったなら、人はなかなか行動できないものです。漠然と生きるのではなく、目的を明確化することで行動力を上げて行くのです。

目的を明確化するという練習

部活で同じことを何度も何度も練習するように、日々の生活の中で、今している行動について問いかける練習をしていくといいのかもしれません。「なぜ今、私はこれをしているのだろうか?」と。そうして得た答えが、内的動機付けに近いものであったなら、それはそれでよしとしましょう。

もし問いかけた答えが「外的動機付け」に近いものであったなら、その答えをもう少し深く探って行くといいでしょう。そうしていくことで、それをする目的や理由が明確化されるので、行動そのものに迷いがなくなっていくし、また、明確化された目標や理由によって、純粋性のある行動を新たに生み出していくことも可能となるのです。

部活動の練習は外的動機付けを内的動機付けに転化させるために行っているともいえます。理由はともあれ、スッと体を動かせるようになるためには練習は欠かせないのです。

従って、日々の生活の中から外的動機付けを内的動機付けに転化していく練習をしていくことで、行動力を上げていくことが可能となるといえるのです。

本日のまとめ

行動するという練習
① スッと行動できるようになるためには練習が必要。
② 未知のものを既知のものとするために練習をしている。
③ 行動には「内的動機付け」と「外的動機付け」が存在している。
④ 「内的動機付け」の方が純粋性が強く、行動する理由が明確である。
⑤ 動機を見つめていくと「私」の存在理由が明確化される。
⑥ 強い動機の方が行動力が上がっていく。
⑦ 動機付けを外的から内的に変化させていけば、行動力も上がっていく。
⑧ 日々の生活の中で外的動機付けを内的に変えていく練習をしていくことが大事。

 

見通しが行動力を生む

 

おはようございます。本日も行動力を上げて行く方法について、書いていきたいと思います。

最近、「行動力」とは「見通し力」なんだなと実感しています。行動する前に、ある程度の見通しが立てば動けるし、逆に全く見通し立たないことに対してはなかなか行動に移せないものであるといえるでしょう。

心理学の用語にアトキンソンモデルというものがあります。これは、「人は成功する確立が半々ぐらいのものに挑戦するのに対し、全く成功しなさそうな事ややってみて簡単にできてしまいそうなことには挑戦しない」ということを数値化したものです。

これをもう少しわかりやすく説明するならば、人は「現状では難しいが、がんばればなんとか達成できるかもしれない」と思える程度の目標に対して達成動機を持つということいえるのです。

つまり、成功するまでの見通しをある程度立てることができるようなことであるならば、人はチャレンジできる(行動できる)し、全く見通しの立たないものや、見通しを立てる必要もなくできてしまうことに対しては、挑戦しないということがいえるのです。

ついゲームにはまってしまうということがありますが、これこそアトキンソンモデルで説明できるといえます。難しすぎるゲームや簡単なゲームはつまらなく感じるし、クリアできそうでできないくらいのゲームに多くの人がはまってしまうものなのです。

従って、ゲームの作成者は、もしかするとこういったアトキンソンモデルのことを念頭に置いて、開発を進めているのかもしれません。

経験が見通しを立てる力を生み出す

では、アトキンソンモデルでいう達成動機(がんばればなんとか達成できるかもしれないという動機)が、どのようにして生まれるのかというと、それはそれまでの経験と自分の能力を照らし合わせた結果ということができるでしょう。

自分の過去経験と能力を照らし合わせた結果として、見通しを立てることができるかどうかで、人は「する/しない」を決定しているといってもいいはずです。

従って、行動するかどうかを決定する大きな要因として、過去にどのような経験をしてきたかということが注目されるのです。

例えば、「自転車で1時間以内で20㎞走ってください」とい課題を出されたときに、できるかどうかの判断は、人それぞれの過去の経験を複合的に照らし合わせてするといっていいでしょう。自転車を乗れるようになったばかりの子供にとっては、この課題は難しいものであるし、自転車レーサーであるならば、この課題は簡単な事といえます。自転車レーサーでないにしても、普段自転車に乗っているような人ならば、1時間で20㎞を走れるかどうかは、比較的簡単に計算できるのに対し、自転車には乗れるけどもう何年も乗っていないような人だと、この課題が達成できるかどうかを判断するのには、多少の時間が掛かるかもしれません。このように、人は目の前の課題に対して、自分の経験と能力を瞬時に判断し、出来るかどうかの判断といえるのです。

こういったことを踏まえた上で、行動できる人とそうでない人の差は何なのかというと、こういった判断材料をたくさん持っているかどうかの差ともいえます。つまり、色々な経験を持っている人は判断力も早くなるといえるし、その判断力が、行動力に繋がっているといえるのです

専門分野の経験値の高い人がプロフェッショナル

NHKの「プロフェッショナル」という番組のエンディング頃に決まって、「あなたにとってのプロフェショナルとは何ですか?」と質問する場面があります。その回答は当然、出演者によって異なりますが、番組に出てくる出演者に共通していることといえば「専門分野の経験値が高い人」であるといるのです。

ある特定の分野でいろいろな経験をしているからこそ、目の前の課題に対してどのように対処していけばいいかという見通しを瞬時に立てることができるといっていいでしょう。そして、この見通しを立てることができるからこそ、スッと行動化できるといっても過言ではありません。

そういった意味では、やはり経験が必要になってくるといえます。最初は初心者だったとしても、たくさんの経験を積んでいくことで、人はプロフェッショナルになれるといえるのです。「石の上にも3年」という言葉の根拠はこういったところにあるともいえます。

そう考えると、人生を有意義なものにしたいと考えるのならば、色々な経験をしていくということがとても大事になってくるといえるのです。

国立青少年教育振興機構が公表している『子どもの体験活動の実態に関する調査研究』というものがありますが、この研究では、子供時代に様々な経験をしている人ほど、大人になってからのやる気や生きがい、モラルや人間関係能力などの資質・能力が高い傾向にあるといわれています。また子供時代に豊かな経験をした人の年収はそうでない人よりも多いという結果も出ているそうです。

こういったことから、経験から得たデータを豊富に持っている人ほど、見通す力があるといえることから、それが行動力に繋がるといえるのです。

有意義人生を歩みたいと思うのなら、色々な経験をすること

もし、これをご覧の方で、人生を謳歌したいと考えていらっしゃるのであれば、興味のあることはどんどんチャレンジした方がよさそうです。今、大人であって、仮に子供の頃に豊かな経験をしていないという方でも、もちろん、これからいろいろな体験をしていけば、これからの結果は経験を積んだ分変わってくるので、ぜひ、してみたいことは物おじせず体験していくことをお勧めします。

体験して得たデータは、何かをする前の見通す力を養ってくれます。この見通す力があればあるほど、行動力も上がっていくこと間違いなしです。

そして、見通し力を十分に養うことができたとき、どんなことにでもスッと行動できるようになるといえるでしょう。

本日のまとめ

見通しが行動力を生む
① 見通せる力があればあるほど、行動できるようになる。
② 人は成功する確立が半分くらいのものに挑戦する傾向にある。
④ 成功できるという見通しを立てることができたとき、挑戦するようになる。
⑤ 見通しとは「経験と自分の能力を照らし合わせた結果」のこと。
⑥ 様々な経験を持っている人は、必然的に判断力も高く行動力も高くなる。
⑦ プロフェッショナルとは「専門分野の経験値が高い人」。
⑧ 有意義なも人生を送りたいと思うなら、色々な経験をしていくということが大事。
⑨ 結果は経験を積んだ分変わってくる。

 

見る前に跳べるようになるために練習する。

 

おはようございます。『落ちこぼれが創る明るい未来の会』代表のwatanabeです。

このところ行動することの大切さをテーマに書いていますが、今日もその続きです。前回は「見る前に跳べる」ようになるために、小さな目標を立てて、それを段階的にクリアしていきましょうということを述べてみましたが、今日はそれとは少し違ったアプローチ方法をお伝えしていきたいと思います。

「見る前に跳ぶ」ことは、ある意味でとても勇気のいることです。実は、この「勇気」がなかなかでないことが行動力を低下させる原因であるといっても過言ではありません。

しかし、この「勇気」は練習を積み重ねていけば、全く必要のないものになるといえるのです。

練習すれば見る前に跳べるようになる。

少し前に見たNHKの「プロフェッショナル」に数寄屋大工の升田さんという方が出ていました。その中で、升田さんは、大工として修行している当時、仕事の中で苦手なことがあると、親方からその苦手な事を徹底的にやらされたという話をされていました。

その親方は、おそらく苦手な事から逃げずに徹底的にそれを行い克服することで、行動する前に「嫌だな」といった思いを抱くことなく、スッと仕事ができるようになるために仕向けたのではないかと考えます。

毎日毎日、自分が苦手であると思えることをやっていくうちに、次第に苦手意識が薄れてやがて消えていくことでしょう。そうすると、苦手だと思っていたことさえも抵抗なくできるようになるといえます。

アルバート・エリスという心理学者は、若い頃、女性と話すことに強いコンプレックスを持っていました。そのコンプレックスを克服するために、彼はニューヨークの植物公園で「出会った女性すべて」に敢えて声を掛けていったという逸話が残っています。その結果、彼は女性恐怖症を克服し、しかもその経験から論理療法というひとつの心理的な療法さえ確立してしまったといいます。

苦手なこともそれを克服してしまえば、それをすることに何の抵抗もなくなってしまい、むしろそれが得意な事となってしまうのです。

パパッと行動できる人のイメージはバイタリティのある人であったり情熱のある人と思われがちですけれど、実は、そういった人の背景には、色々な経験を積んで苦手意識を克服したという経験があるのかもしれません。

従って、見る前に跳べるようになるには、訓練することも時には必要であるといえます。

考えないように訓練する

日本の禅のあり方を世界に広めた鈴木大拙に、ある少年がこんな質問をしたそうです。「どうしてお坊さんは、お寺で修行をするのですか?」と。すると大拙はこう答えたそうです。「スッと行動できるようになるためだよ。人間は修行をしないとなかなか行動できるようにならないからね」

大人になると思考することを通して決断するようになります。思考することは諸刃の剣といえます。思考力が行動力を下げてしまうことが多々あるのです。ですのでお寺で修行するお坊さんは、思考することで低下しまいがちな行動力を上げていくという修行をしているといってもいいでしょう。

幼い子供はまだ思考する力が発達していない故に、思いのままどんどん行動していきます。そういった意味では、幼児は行動力は大人より勝っているといってもいいでしょう。幼児には恐怖心が少ないのかもしれません。だからどんどん物おじせずに行動できるのです。

小池龍之介さんというお坊さんが、以前、「考えない練習」という本を出しベストセラーとなりましたが、このタイトルの意味を読み解くと、考えることは必ずしもいいことばかりではないというメッセージが含まれているといえるでしょう。

つまり、「見る前に跳べる」ようになるためには、色々な事をあまり深く考えすぎないということが大事であるといえます。「したいと思ったこと」は、その初期衝動に従って、スッと行動するのが大切なのかもしれません。

とはいえ、考えずに行動できるようになるためには、そのための訓練も必要になるので、最初は大変な思いをするかもしれませんけれど、したいと思ったことは、必ずするという訓練をしていかなければならないようです。

本日のまとめ

見る前に跳べるようになるために練習する。
① 苦手な事を克服すると、それは得意な事となり苦も無く行動できるようになる。
② いろいろな経験を積めば、自然と行動力が上がっていく。
③ 考えすぎないことが行動力を上げて行くポイント。
④ したいと思ったことは、その初期衝動に従ってスッと行動することが大事。
⑤ 行動力を上げるには、したいと思ったことは必ずするという練習も大切。

 

見る前に飛べ!!

おはようございます。『落ちこぼれが創る明るい未来の会』代表のwatanabeです。

GWの片付け以降、断捨離熱が冷めやまず、その後、普段全く使っていない調理用具や衣類等を処分いたしました。衣類に関していえば、3つあった3段式の衣類用の収納ボックスのひとつがすべて空になったので、それも処分することにしました。おかげでまた部屋の中が広くなりスッキリです。

やはり、行動した結果が明白に出ると人はやる気になるようですね。部屋の片付けは必ず結果が出るので、癖になる可能性大です。どんな事でも行動した結果が良いものであったなら、継続的にそれを続けていこうと思えるようになるといえます。

今回は部屋の片付けでしたけれど、こういった経験を積み重ねていくことができたならどんなことでもパパッと行動できるようになるといえます。

見る前に跳べるようになるには

迷いを最小限に抑えてパパッと行動できる、そんな人生が送れるようになれるといいですね。では、どのようにしていけば、そんな人生が送れるようになるのでしょうか。今日はそんなことを考えていきたいと思います。

すでに何度も経験しているようなことであれば、それこそパパッと行動できたりします。しかし、人生の岐路に立つような大きな決断を迫られるような場合は、なかなかすぐには行動に移せないものです。色々と考えてしまい時間ばかりが過ぎていくということがよくあります。

英語に「Look before you leap」という諺(ことわざ)があって、日本の諺に変換するなら『転ばぬ先の杖』という意味になりますが、この「Look before you leap」をもじった「Leap before you look」という言葉もあって、これを直訳すると「見る前に跳べ」となります。

どんな事でも「見る前に跳べる」ことができるといいですね。迷う時間がないので効率的に人生を送れるようになると思います。「見る前に跳べ」ということは、思考優先ではなく行動優先で生きていきましょうということでもあり、特に思考優先の慎重派の人には、こういった要素を取り入れていく必要があるといえるのです。

そもそもすべての人は行動優先であるといってもいいのです。生まれてからの数年間は少なくとも行動優先で生きているわけですから。しかし徐々に思考できるようになるにつれ、行動優先ではなくなるといってもいいでしょう。その変化の度合いは人それぞれでありますけれど、それでも大人になるころには、まず思考してみてそれから行動に移していくということが習慣化されていくといっていいでしょう。

ではなぜ思考してから行動するということが習慣化されてしまうのでしょうか。その一つの要素として、自意識というものがあるといえます。自意識の芽生えが思考力を育ませ、その結果として、それまでは思ったことをどんどんするといった行為にブレーキを踏ませるようになっていくのです。

自意識とは、世界は自分と自分以外のものでできているということを認識する意識のことです。世の中は自分の外側にあって、その外側と自分自身をどう調和させていけばいいのか、と考えることで思考する力を養っていきます。しかし、この調和することばかり考えてしまうと、今度は行動ができなくなってしまうという事態に陥ってしまいます。

また結果を考えるということも自意識のなせる業です。やって失敗したらどうしようとか、失敗して心に何かしらの傷を負いたくないと考えてしまうのが自意識なのです。

自意識は自分と自分の外側を対比することが得意です。そういった自と他という対立構造が生まれたとき自意識は自動的に動き出し、「何かしらの問題はないか」といった視点での思考を作り出してしまいがちです。従って、何かを考え始めたときから自意識が働き出し、自分にとっての優位性ばかりを抽出させていってしまう傾向があるのです。こういうような思考癖が強い人ほど、行動力を低くさせてしまうといっていいでしょう。

では、どのようにすれば見る前に跳べるようになるのでしょうか。その方法としては、「したいと思ったらそれをすぐすること」「すぐに行動できるように何度も練習をする」という2つのやり方がありますが、これについてはまた次回、書いていきたいと思います。

本日のまとめ

見る前に跳べ
① 行動した結果が良いものでありそれが明白に出ると人はやる気になるし、継続してできるようになる。
② 生きていく上では「見る前に跳ぶ」ことも大事。
③ 自意識が行動力を低下させる原因となっている。
④ 自意識は自分の優位性を抽出するのが得意。
⑤ 「見る前に跳べる」ようになるには、「考えないこと」と「練習すること」の2つの方法がある。

 

自然体でできることからはじめよう!

 

おはようございます。『落ちこぼれが創る明るい未来の会』代表のwatanabeです。

本日は、行動について述べていきたいと思います。

人には、何かをしたいという欲求がある反面、それを行わないようにしようと考えてしまうという習慣があります。

例えば、婚活をしてみたいと思っているのにも関わらず、全く行動できないでいるとか。今はしなくてもいいや、本当に必要になったらしよう、と考えてしまったり。

したいと思うことを先延ばしにしたりしているうちに、その欲求はやがて薄らいでいき、結局、何もせずに時が過ぎていくことが多々あります。

また、逆の場合も考えられます。本当は何もしたくないけれど、今しなければどうしようもなくなるというときです。いわゆる切羽詰まった状態のときですね。

婚活の例でいうなら、もしかすると本当に切羽詰まったならなりふり構わず、いろんなイベントに参加するようになるかもしれません。

では、なぜ人はやりたいと思ったことを、先延ばしにしたり、ぎりぎりの状態になるまで行動できないといった現象が起こってしまうのでしょうか。

未経験の事には恐怖心が働く

人は未経験のことに対しては何かと警戒してしまうものです。未経験であるがために、実際に行動に移したときに、失敗するのではないかとか、失敗してしまうことで他の人に変な目で見られてしまうのではないかと考えてしまいがちです。あるいは費用対効果を考えてしまった結果、失敗したら損をするのではないかととも考えてしまったりもします。

やってみたいと思っているのにもかかわらず、未経験のことに対してなかなか行動に移せていけないのは、この「失敗したくない」という思いが、欲求に勝ってしまうというこなのです。

しかし、その一方で経験のあることであったなら、人は重い腰もすんなりと上がってしまうのです。

婚活パーティーに参加するのは気が引けるけど、書店に行って婚活に関する本を買うことは簡単にできたりします。あるいは、婚活に関する情報をネットで調べることも簡単にできるでしょう。

つまり、本屋に行って本を買うことやネットで情報を検索することは、日常生活の中で普段からしていることであるから、何の抵抗もなくできるということになります。しかし、はじめて婚活パーティーに参加するということは、未経験のことであり、実際に参加した場合に上手く場の雰囲気になじめるかどうかなど、当日の不安をついつい連想してしまいがちです。その不安が勝ってしまうと婚活パーティーに参加することに怖気づいてしまうのです。

しかし、普段から婚活パーティーにばんばん参加している人にとっては、そういった不安は皆無といっていいかもしれません。結局のところ、人は経験したことがあり、どう行動すればよいのか、といった見通しを立てることができれば行動できるといえるのです。

であるならば、不安に感じる婚活パーティーも行くかどうか悩むのではなく、悩む前に行ってみて経験してしまえばいいということになります。勇気を出して経験してしまえば、もう婚活パーティーに参加することに怖気づくというようなことはなくなるといえるのです。

しかし、そうは問屋は卸しません。

勇気を出してやってみたけど、失敗してしまった

いろいろと悩んだ挙句、あなたは勇気を出して婚活パーティーに参加したとします。そこで大切になってくるのは、その婚活パーティーでの体験です。

もしあなたが参加した婚活パーティで楽しい経験ができたなら、また折を見て同じようなイベントに参加できるようになるでしょう。また、楽しかったと思えなくても無難に過ごすことができたなら、あるいは、また参加することに抵抗はないかもしれません。しかし、この婚活パーティーで嫌な体験をしてしまったなら、あなたはもう2度と婚活パーティーに参加したいとは思わないかもしれません。

カウンセラーのもとに足を運んでくる人達は、基本的に3番目の方々です。3番目の方々はこれまでの人生で、勇気を挫かれてしまった経験が大なり小なりあって、それが克服できずにいる方たちなのです。

実をいうと、失敗してしまった結果、行動ができなくなってしまったという人は世の中にはたくさんいたりするのです。

人は行動した結果、いい経験ができた場合、それが自分自身の自己効力感を上げることとなり自信を持つことができます。しかし行動した結果の体験が、あまりよくない場合であったとき自己効力感が下がってしまい自信喪失に繋がってしまいます。

自信を失っている人は、もうこれ以上自己効力感を下げたくないので、行動力が下がってしまう傾向にあるのです。やはり生きていく上では、この自己効力感が大切です。一度、自己効力感を失ってしまうと、それを復活させるのが大変であるということを誰もが本能的に知っています。ですので、一度自信を喪失してしまった場合、それ以下にならないよう食い止める作業を行うものなのです。

結局のところ、やりたいという欲求があるのにかかわらず行動になかなか移せないといった人は、自尊心を失わなわないようにと思う気持ちがブレーキとなり行動に移させないのです。

その一方で、行動した結果、良い体験を繰り返ししている人は自信がどんどんついていき、未経験のことに対しても不安を持つことは少なく、どんどん新しいことにチャレンジできるようになるといっていいでしょう。

最初の婚活の話に戻りますが、婚活パーティーに行きたいと思いながらもなかなか参加できないのは、婚活パーティーでうまく対応できるかどうかが問題なのではなく、「失敗してもう辛い思いをしたくない」という思いが心の奥底にあるといえます。

行動化させるのではなく、本当の価値観を知って貰う

では私のもとに、なかなか行動に移せない人がやってきた場合に、どのようなスタンスで対応するかというと「どちらでも大丈夫ですよ」という態度で接します

なぜならば、なかなか行動できない人にとっての問題は、行動できないことではなく、その人自身の価値観が何であるか、本来は何を望んでいるのかということを自覚していないということなのです。そして、不思議な事にその人その人なりの価値観や本来の望みを十分に自覚できるようになったとき、人は自然と行動できるようになるものなのです。

ですので、「してもしなくてもどちらでも大丈夫です、その代わりあなたが本当に望んでいることが何なのか探索していきましょう」といいます。

あなたの価値観に沿うことであれば、あなたはすぐに行動に移すことができます。仮に婚活パーティーに参加できなくても、もしかするとガーデニングのイベントならすんなりと参加できるかもしれません。

婚活パーティーに抵抗を感じるということは、そもそもあなたは結婚することを本当に望んでいるということではないのです。もしかすると、本当に望んでいるのは植物とともに過ごすことであり、そういった生活をすることの方が大切なのかもしれません。

つまり、あなたの価値観の優先順位は、婚活をすることではなく、ガーデニングを学ぶということが高いということになります。あるいはあなたの価値観は、社交性よりも、黙々と何かを作っていくことに喜びを感じるということの方に重きがあるのかもしれません。そういった自分にとって何が大切であるかということが見えてきたとき、あなたはあなたの必要とすることを始めることができるようになるでしょう。従って、例え過去にガーデニングのイベントに参加したことはなくても、それにすんなりと参加できるというのであれば、そこには、あなたなりの価値観が存在しているといえます。

このように自分自身がどうなりたいのか、何を望んでいるのかといった価値観をしっかりと認識さえできれば、人は行動できるものなのです

また、こうも考えることもできます。婚活パーティーに参加することには、失敗してしまうかもしれないという思いが生まれてしまい、その結果として、それが緊張を生み、あなたを自然体でなくさせてしまいます。その一方で、ガーデニングのイベントであるならば緊張もしないし、自然体で過ごすことができるというのであれば、それはあなたの価値観の現れといっていいでしょう。

婚活パーティーで出会った見ず知らずの人と話すときは緊張してしまうかもしれません。けれど、ガーデニングのイベントで出会った人ならすんなりと話ができる可能性は高いでしょう。つまり、あなた自身が本来何を求めているのかを知ることができれば、自然とそれに付随するように出会いも起こってくるといえます。緊張して話してしまう相手と、価値観が共通していて自然体で話せる相手では、どちらがあなたにとって大切な存在となり得るでしょうか?

従って、大切なことは、あなたがどのようなビジョンを持って生きているのか、これからの生活をどのように過ごしていきたいかということを、より深く知るということが大切であるといえます。

大事なのは、あなたが自然体でできることをするということでありかつ未体験な事でも自然体でできそうなことにチャレンジしていくというところから始めていくということなのです。

自然体でできることからはじめよう!

上に書いてきたことは、あくまでも失敗したくないという思いが強い人の場合についてのケースです。とはいえ、未経験の事でもどんどんチャレンジできるという人の場合でも根本の部分は一緒です。

なぜなら、未経験の事でも物おじせずチャレンジできるという人は、チャレンジするということそのものに、より自然体に近い状態で挑めているからです。ですので、どんな人でも自然体に近い状態でできることをするのが一番のベストといえるでしょう。

しかし、だからといってできることだけをしていればいいというものではありません。入口は自然体でできそうなことであったとしても、自分の価値観に沿っていてしなければならないと思えるようなことはしていく必要があるでしょう。

ガーデニングを始めた結果、それが楽しいと思い、ガーデニングに関する仕事をしようと思ったなら、それを実現していくことが大切なことです。もしあなたの中に、植物に囲まれて生きていたいという価値観があるのならそれは実行していくべきです。そこの部分での行動化にひるんではいけません。それこそ、勇気をもって行動すべきです。

とはいえ、安心してください、結局のところ、人はどんなに時間が掛かろうと、本当にしたいと思ったことは必ずするものなのです。ですので本当にしたいと思うことは、必ず行動に移すことができます。

我々カウンセラーがなかなか行動化できない人に対して何をしているかといえば、その人その人が本当に求めているのが何なのかということを探っていくことです。そして、それを一緒になって見つけ出していくことで自己実現に至るまでの時間を短縮させているのです。

人は、自分の求めている本当の価値観を知ることができ、それを実現したいと本気で思えるようになったとき、自然と行動できるようになります。

ですので、もし今現在、行動できないで悩んでいるという方は、自分が今何を望んでいるのか、どのような人生を送っていきたいのかを徹底的に洗い出していくといいでしょう。

本日のまとめ

自然体でできることからはじめよう!
① 人は未経験のことに対しては何かと警戒してしまうもの。
② 人はどう行動すればよいのかといった見通しを立てることができたなら行動に移すことができる。
③ 人は、一度自信を失うと、もうそれ以上自信を失いたくないという思いが働くもの。
④ 行動できないことが問題なのではなく、自分自身の価値観を自覚していないことが問題なのである。
⑤ 自分の価値観を十分に認識できたとき、人は自然と行動できるようになる。
⑥ 自然体でできることからチャレンジしていく、というところから始めていくといい。
⑦ 自分の価値観に沿っていることであるならば、それは積極的にチャレンジしていく必要がある。
⑧ 人は本気でしたいと思ったことは必ずする。