日々の変化に意識的になると、見えてくる世界も変わる

 

我々は、絶え間ない変化の中に生きています。しかし、その変化に気付くことなく、同じような状態が続いていると錯覚しながら生きてしまいまいがちです。

例えば会社の中での仕事や人間関係といったものも、毎日、同じように過ごしていて、日々の変化よりも日常の惰性的な習慣ばかりに目を奪われがちになっていたりします。そういった惰性的な習慣に意識を注いでいくことで、やがてそれがストレスになったり、慢性的な「つまらなさ」に繋がっていくこともあるでしょう。

やはり、毎日の生活の中に楽しさや喜び、やりがいといった何かしらの前向きさとともに生きていきたいと人は願うものです。そして、もしそういった前向きさとともに日々を生きていきたいと願うのであれば、日々、意識を新鮮にしていくことと、日常の中でのささやかな変化に敏感になって生きていく必要があるのです。

意識のリセットをする習慣を作ってみる

人は1度作ってしまった固定観念をなかなか手放すことはできません。それゆえにこの固定観念が、日々の生活をつまらないものにしているということを改めて考えてみるといいかもしれません。

例えば、今の仕事につまらなさを感じているとした場合、つまらないという固定観念を抱いている限り、それは「つまらなさ」というストレスの中で仕事をしていかなければならなくなってしまいます。

つまらないということに対して、その原因ばかりを探していては何も進歩はありません。原因探しをしている限り、一度作ってしまった固定観念を手放すことはできないですし、逆にそれを強化してしまいがちです。

それよりも、今している仕事に対しての目的を探していくことが、意識のリセットに繋がり固定観念を手放すための手段となるといえるのです。

心理学者にアドラーさんという方がいますが、彼は原因論ではなく目的論を唱えています。

原因探しは過去に向かうことであり、目的論は未来に向かって歩むものです。過去に向かうということは、意識を後ろ向きにさせるものであり、未来に向かうということは、意識を前に向けるのです。

従って、意識を前向きにする目的論で生きることができた時、毎日を惰性的な繰り返しではなく、今は将来のあるべき姿に向かっているひとつの過程であると意識できるようになるでしょう。今を将来に繋がる過程であると認識できた時、日々の生活の中の変化に向かっていくのです。

惰性とは、同じことの繰り返しに意識が向いているということです。しかし、日々の変化に敏感になって生きるということは、そこに新たな気付きを生み出していくことができ、その気づきが、あなたの望む将来へと近づけるヒントとなるといえるのです

今、この瞬間を生きると日々の変化に敏感になれる

昨日の風と今日の風は同じでしょうか。昨日の会話と今日の会話は同じでしょうか。昨日と今日、全く同じ日だったでしょうか。

生きるということは、日々の変化の中に身を寄せるということです。生は絶え間のない変化の中にあるのです。

しかし、そういった変化に気付かせないようにさせているのが、固定観念という思考です。固定観念とは繰り返し繰り返し蓄積されたあなたの思考の塵の山です。この思考の塵の山を毎日、綺麗にお掃除していかなければ「生」に対して鈍感になってしまうでしょう。

今に敏感になることが生きることです。今に鈍感になってしまうことは、単なる惰性的な日常の繰り返しです。あなたはどちらを選びますか。原因論で生きるのか、目的論で生きるのか、日々の変化の中から気付きを得て生きるのか、固定観念を保ったまま日々の変化をシャットアウトして生きるのか、そういったことを今一度、考えてみる機会を作ってみるのもよいかもしれません。

本日のまとめ

日々の変化に意識的になると、見えてくる世界も変わる
① 固定観念が可能性の幅を狭めている。
② 原因論ではなく、目的論で意識を前に向けていく。
③ 日々の変化に敏感になると気付きが生まれる。
④ 「生」は絶え間のない変化の中にある。
⑤ 生きるということは、日々の変化の中に身を寄せるということ。
⑥ 原因論か目的論か、惰性か変化に敏感になるか考えてみるのもいいでしょう。

 

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